この記事は、お金にならない仕事はどのような価値があるのかということについて考えてみました。
結論として、人が生きていくためにはお金にならないような仕事が重要であるので、お金にならない仕事をしている人の社会的地位を守ろう、ということです。
最近ツイッター上では専業主婦の年金は半額でいいのではないかという話が話題になっていました。
まぁめちゃくちゃだなぁと思う一方で、国は財源ないからだろうなぁなんてことを考えていたわけですが…。
専業主婦が軽視される、仕事をしていない等の考えはいわゆる生産性の話になるような気がします。生産性がないことは軽視されるというのは資本主義の常なのかと思います。
専業主婦が子守をしなければ赤ちゃんは生きていけないし、旦那も妻がいなくなったら生活の質が間違いなく落ちると思います。でも、あって当たり前のものは無くなるまで気づかないし、あったらあったで感謝はされない、お金にも変わらないから生産性がないともいわれる。いやぁ…世知辛い。
これは医療、介護業界にも言えることだと私は思っています。
例えば看護師が注射を打つとき、挨拶もせず、声もかけず、淡々と注射を打っても、笑顔で説明して、声かけしながら注射を打っても入ってくるお金は同じ。ヘルパーさんが声かけしながら丁寧に声かけしながらオムツ替えをしても、尿もれするくらい雑に取り替えてもお金は同じ。ケアスタッフがどうやっても国から入ってくるお金は同じ。リハビリも、結局何をどうやったってもらえるお金は時間単位で同じ。ある意味、質の面はあげようが、あげまいが、お金からみた生産性では一緒になってしまいますよね…。
でも、それで良いのでしょうか?
極端に言えば、専業主婦が毎日の「お金にならない仕事」をやめれば、子供は生活出来なくなり、旦那も今まで通りの仕事が出来なくなり、クビになるか、健康を損ねる可能性もあります。病院や、施設が「お金にならない仕事」をやめれば、病院が殺伐とし、他職種連携もなくなり、患者さんとのコミュニケーションも最低限になり、入院したのに医療どころか不調を訴える患者さんが続出するかと思います。(まぁ、現にそうなっているところもありそうですが…。)
でもそうなっていないのは、「お金にならない仕事」をして踏ん張っている人がいるからですよね。
そのような仕事をしている人達が最低限、老後安心に暮らせたり、お金にならない仕事を続行出来ることはとても大切なことだと思います。
お金だけで測れない価値を大事にしていかないといけないなぁと時折思いますし…まぁ今、お金にならない仕事も、報酬がつけばそれに越したことはないと思うんですけどね…。
では、また!